野生復帰したコウノトリが教える地域環境づくり&玄武洞訪問①
野生復帰したコウノトリが教える地域環境づくり

野生復帰したコウノトリが教える地域環境づくり
豊岡は、黄沼前海(きぬさきのうみ)と呼ばれる大きな沼地だった。
地形が平らであり、人間の手で何か加えずとも、田んぼは常に湿地状態だった。その環境はコウノトリにピッタリであり、恰好の棲家となったのだ。
あいにくの雨の中。豊岡の空気は今日も水分を多く含んで重たげである。しかし雨で落ち込んでいては豊岡の町を楽しく過ごすことはできない。何を隠そう但馬は屈指の雨降り地域。「弁当忘れても傘忘れるな」と言い伝えられるほどである。雨だからと外に出るのを諦めていては何も始まらない。身軽な格好に変えて、鞄は肩掛けにして両手を開けて、出かけるのである。
私は豊岡に住まう大学三年生である。しかし、コウノトリ、そしてこの土地についてはまだまだ知らないことが沢山ある。
円山川を渡り、さらにずーっと進むと、緑豊かな田んぼの中にコウノトリの郷公園とコウノトリ文化館が見えてくる。市街から離れた山のふもとにあり、秘密基地のような居心地の良さがある。なんだか時間もゆっくりと流れるようである。橋を渡って右奥にあるのが公園の管理・研究棟。左にコウノトリ文化館。実は私は受験で豊岡を訪れた時や、入学後も何度か授業などでコウノトリの郷公園を訪れたことがある。大学のある市街地は便利で住みよいが、公園周辺は生き物の静かでしたたかな生活が感じられる。その雰囲気が気に入って何度か行っているのだが、講話やガイドを受けるのは今回が初めて。
管理・研究棟とコウノトリ文化館との間には兵庫県立の大学院、ジオ・コウノトリキャンパスが設置されている。まずは公園の管理・研究棟で講話を受ける。講師の方が玄関までお出迎えしてくださった。施設内には小学生のお礼の手紙が貼られており、この地の自然教育はコウノトリを中心に育まれているのだなと考えたりする。豊岡の小学生にとってコウノトリは身近な存在なのだろう。
講話は約1時間。じっくりと豊岡の自然環境とコウノトリの絶滅、そして野生復帰について説明を頂く。絶滅を何とか防ごうと約束のケージで始められた人工飼育、その挫折。ロシアからのコウノトリの譲渡。野生復帰までの長い道のり。豊岡のまちの至る所にコウノトリがモチーフに使われているわけを改めて思い知る。
他の鳥との区別ができるように、くちばしや身長などの特徴も教えていただいた。いつもまちでコウノトリらしい鳥を見かけても最後自信を持って答えられないのだが、これで次からはパッと答えられそうだ。コウノトリは今では全国で見られるようになっているらしい。一羽一羽の足に足環がついており居場所を管理している。貴方も住むまちでもうすでに出会っているかもしれない。
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豊岡とコウノトリの物語に聞き入っていると、あっと言う間に1時間の講話は終わってしまった。祖母たちにあげるコウノトリのポストカードを頂いた。管理・研究棟にさようならをして次は文化館の見学ツアーへ。
巣塔ではちょうどもうすぐ巣立つ子供とその親が仲良く過ごしている。その時ちょうど親鳥が帰ってきた。コウノトリはきれい好きらしく巣にフンは残さないらしい。館内にはコウノトリの巣に入ってコウノトリになりきって写真を撮ることができるスポットもある。コウノトリは三歳になると群れでの集団生活を離れ、つがいを見つける。一度つがいの相手を見つけると生涯カップルで生活していくそうだ。見学中にカップルを何組か見かけた。その様子は何だか穏やかでうらやましくなる。
コウノトリの郷を離れて、ゆかりのある神社、久々比神社を訪れた。車で5分程の距離にある。久々比とは「鵠」、すなわちコウノトリを指す。その昔、ある皇子が飛んでいるコウノトリを見てお気に召し、家来が皇子に献上したという伝説がある。霊鳥と言われ献上されるほど神聖なコウノトリ。ついさっきまで見ていたコウノトリを昔の景色に背景を差し替えて想像する。実に優美である。コウノトリの神社であることから安産祈願をしに訪れる人が多い。
ここではおみくじを引くことができる。結果は吉。学問の所には「努力すればよろし」。お前には豊岡の地でまだまだ勉強することがある、とでも告げられたかのようで、身を引き締める。
神社に人が常駐しているわけではないため、絵馬やお守りが欲しい時はすぐ目の前にある「aviantot(アビアントット)」という喫茶店へ行くといい。お店の料理は絶品でいつも混んでいる。お重で出てくる日替わり定食、ナポリタンなどがオススメ。飲み物のメニューも豊富である。旅のランチに是非行ってみてほしい。
車で約20分。玄武洞駅前に到着。これから玄武洞に向かう。それもなんと舟で。
この円山川の対岸までの送迎を行う渡し舟は玄武洞駅が開業したときにできたらしく、今とは違い当時は十石舟でさおでこいで渡っていたそう。移動で注意してほしいのは、車以外の交通手段の方。玄武洞駅まで電車で来ても、そこから向かう方法は舟だけである(事前予約制である)。他には玄武洞直通バスが豊岡駅と城崎駅から出ている(本数が少ないため要注意)。
いざ乗船。ゆっくりと速度をあげていく舟に身を任せる。円山川の波は穏やかで湖みたいに静かである。ひのそ島が近づいてくる。コウノトリの生息場所としてラムサール条約に登録されている大きな中州である。
川から見る豊岡の山々はいつもよりも生き生きとしているように見え、その壮大さに圧倒された。360度見渡そうとしているとあっという間に対岸についた。
下船すると、玄武洞ミュージアムが待ち受ける。施設や公園は最近整備され、清潔感のある内装になっている。レストラン&カフェ菓子工房、但馬のお土産ミュージアムショップに体験コーナーと盛りだくさんである。子連れの家族が沢山訪れている。お腹がなる、お昼ごはんの時間だ。円山川が見渡せる窓側に座る。テラス席もあり、天気の良い時は気持ちがいいだろう。レストラン&カフェはメニューが豊富で但馬の地場食材を使ったお料理が人気である。私が頼んだのは但馬牛ローストビーフ温玉丼。柔らかいお肉にコクのあるソースがマッチして美味しい!デザートの中でも目を引く宝石クリームソーダは色のバラエティが豊富。爽快な味で美味しかった。
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腹ごなしの後には、玄武洞へ。午後の雨は降ったりやんだり気分屋である。いくつかの階段を上がると、受付とさらに奥に玄武洞が見えてくる。入園手続きを終え、更に上がっていく。ガイドさんと落ち合い、玄武洞、青龍洞を巡る。玄武洞は何万年もの間世界に腰を据え続ける眼差しを感じる。六角形の岩岩はものものしく、壁一面にあちこちに向かって伸びている。衝撃に強く自然界に多く存在する形状であるという六角形。その力強さに何だか引き込まれそうになる。白虎洞、南朱雀洞、北朱雀洞も順に巡っていく。辺りは霧がかかって少し霞んで見える。但馬の日常の天気がここではかえっていい演出をしている。小高い玄武洞から川や対岸の方を眺める。
壁中に広がる岩は何も語りかけてこない。その沈黙に何だか釣られて見ている私たちも沈黙を返す。玄武岩の中に宿る地磁気の記憶やかつての但馬の生活営み。
洞を繋ぐ足元の階段や道も全て玄武岩で出来ている。中央から全体にしわが入っているのが玄武岩の特徴だ。今日は雨でつやつやに見えるが、その分滑りやすい。溝や道の端の方を鮮やかな赤色をした海ガニが歩いていく。玄武洞生まれ玄武洞育ちのカニがいるのだろうか。
玄武洞を堪能した後は、ミュージアムで杞柳細工体験としてコースターとミニかごを作る。館内には豊岡杞柳細工のオリジナルかご編み体験と宝石・奇石・化石・鉱物などが展示されているコーナーがある。作り方・使うもの・コツなどを先生から教わりながらの工作である。コリヤナギは濡らして柔らかくしてから編んでいく。小さな編み物だが、少し力を抜いてしまうと形が歪になってしまう。手こずっている私たちを見守りながら手直しが必要な場合は手際良く編み直していただいた。編み終わりに玄武洞ミュージアムの歴史をお話ししてくださった。何度か立て直しがあったこの施設。元々は円山川に程近いところにあったそう。
ミュージアムは1階も2階も沢山の展示が置かれており、豊岡の地形だけでなく、地球の歴史、その仕組みについて子供から大人まで学ぶことができるようになっている。
館内をクイズの答えを探しながら巡ることができる「たんけんクイズ」もあり、無事クリアすると嬉しいプレゼントが待っている。大学生3人はクリアのため本気になって館内を歩き回る。そして無事クリアしプレゼントをゲットできた。隣がショップになっているため、帰りにはお土産コーナーでゆっくりお土産を選ぶこともできる。
実は杞柳細工を教えてくださった先生はミュージアムの館長の田中さん。豊岡の産業発展に貢献して尽力した立派な方。かつての豊岡の若者の取り組みが今の但馬の景色を作っているのだと思うと、帰りの渡し船からの景色はより一層感慨深いものに見える。
かつてはコウノトリが田んぼで餌取りをしている傍らで牛が農作業を手伝っている、そんな景色が日常としてあったそうだ。
豊岡の生き物や自然は豊岡の人々に深く愛され、大切にされている。コウノトリと玄武洞は私たちに何か言うことは無くこの地に佇んでいる。しかしその沈黙の中には幾年の年を重ねこの土地を守ってきた人々への愛情があるように感じるのだ。
取材者:芸術文化観光専門職大学 3年生 こいも(ペンネーム)