体験してみた!

体験してみた!なぜだか空が近くに感じる。加西市鶉野飛行場ガイドツアー

播磨

戦争遺産を巡り、平和を学ぶ 鶉野フィールドミュージアムガイドツアー

取材日|2023年7月18日

 加西市鶉野町に約80年前から、ほとんど姿を変えず存在する滑走路跡があります。旧姫路海軍航空隊の飛行場です。鶉野町にあることから次第に“鶉野飛行場”と呼ばれるようになったこの地で、かつて若者が戦闘機に乗るための操縦訓練をしました。滑走路跡、防空壕跡と爆弾庫跡…と多くの戦争遺構を今に残す鶉野の飛行場跡をガイドさんに案内いただきました。

レトロな駅舎にびっくり!北条鉄道法華口駅

 JR加古川駅から加古川線に乗り換え、粟生駅から北条鉄道に乗り換えて、鶉野飛行場の最寄り駅「法華口」をめざします。「ガゴーン」「ガゴンゴーン」とディーゼル車特有の重低音を響かせ田園を走ります。ワンマン電車なので、運賃は車両先頭の運賃箱へ投入。さて。降りた法華口駅の、なんとレトロなこと!

1915年(大正4年)に建設された駅舎は、国登録有形文化財に登録されているらしい。

駅名標の「ほっけぐち」の文字の奥をよく見ると、文字を右から書いていた時代の字が見え隠れします。あえて残しているのかな…すごくいいです。

 法華口駅すぐ裏手の田んぼ側に出ると、なんとも分かりやすい道案内があります。

駅を出て10分ほど歩くと、道の周囲は竹藪に。「マムシ注意」の注意書きを撮っている隙にも、音もなく竹林の吸血鬼=蚊に狙われるので、あまり長居はできません。


鶉野飛行場の「門柱・衛兵詰所跡」へ到着。

 今回は、加西市観光ガイドの岡田陽子さんにご案内いただきます。

立ち入れる場所以外にもたくさんの戦争遺構が残る

 姫路海軍航空隊が開隊され、飛行場ができたのが1943年(昭和18年)。岡田さんによると法華口駅から門柱までのこの道には、兵隊や面会にやってきた兵隊の家族、物資を運ぶ輸送車が通っていたのだそうです。

 現在は、立ち入ることのできる戦争遺構は限られていますが、かつての飛行場施設は甲子園球場約70個分という広大な敷地に、3本の滑走路、兵舎や爆弾庫、飛行機格納庫、防空壕など複数の設備があり、また周辺には、軍用機や物資を空襲から守るための掩体壕(えんたいごう)も数十箇所作られたといいます。門柱のすぐ隣は、今は神戸大学の敷地ですが、「敷地内に見えるこんもりとした丘も防空壕だったんですよ」と岡田さん。こんな風に、今は立ち入ることができない場所にも戦争遺構は潜んでいるので、ふらっと通るだけでは気づかないようなことを教えてもらえるのが、ガイドツアーの良さだなと思います。

防空壕跡内では映像を見ることもできる

 門柱から少し歩いて、鶉野で一番大きいという防空壕跡へ。

 この石混じりのコンクリート壁…コンクリってこんなにゴロっとした石も入れるんだろうか。さて、ここから、地下空間へ。

ひんやり~!気持ちがいい。そして、少しだけカビっぽいにおいも。

 ここには、停電時にも通信等が行えるよう自家発電装置が置かれていたということで、さすがに頑丈そうな造りです。「天井をアーチ型にすることで上からの圧に強くなる」と岡田さん。

 この空間は今、シアターとしても使われていて、放映される映像では戦時中にタイムスリップし特攻隊員の残した言葉を聞くことができます。地下特有のほの暗さが非日常で…というか、やはり「空襲」や「避難」を想起させる場所なので、心がシンと静まります。

迎撃のための対空機銃座跡へ

 防空壕跡を後にし、かつては5つあったという対空機銃座跡のうちのひとつへ。対空機銃座とは、攻撃してくる飛行機を迎撃するためのもので、弾丸は最大5,000メートルもの上空を狙えたのだと言います。

 銃に目がいってしまいますが、こちらはレプリカで、当時から残るのは機銃を備え付ける機銃座の方です。地上からは少し分かりにくいですが、機銃座の下には人の出入りできる地下空間があるそうです。

 ちなみにこの機銃のレプリカは、2005年公開の映画『男たちの大和』の撮影で使用されたもので、東映株式会社京都撮影所からお借りして、こちらに設置されているのだとか。「ガイドをしてますといろいろな方にお会いしますが、ある時、『男たちの大和』の撮影に関わられた方が見に来られましたよ」と岡田さんはお話されていました。

滑走路跡に立つと空が近く感じる

 続いて、滑走路跡へ。当時の姿を残す全国でも貴重な滑走路跡だそうです。知らずに近寄ると滑走路跡とは気づかないほど素朴です。現存する滑走路跡は1本ですが、当時は方角の異なる3本の滑走路があり、ここではパイロットの飛行訓練と、近くにあった川西航空機姫路製作所で組み立てられた航空機のテスト飛行が行われていたといいます。この滑走路が重機ではなく人がローラーで整備していた写真が掲載されていました。

 ところで、なぜこの地に飛行場が建設されることになったのでしょう。聞けば、広くなだらかな土地が広がり、物資を輸送するための鉄道の駅が近くにあることなどが選ばれた理由だそうです

確かに、周囲には小高い山も少なく、「開けた土地」という感じです。視界を遮るものがあまりなく、ズドーンと開放的なこの滑走路に立つと、なぜだか空を近くに感じます。ここにたくさんの航空機が行き来していたのか!

 ちなみに鶉野飛行場含む加西市内では近年、気球が飛ぶ光景が見られるということで、こんなものも。

気球のポスト!でも配達は、きっと陸からでしょうね。

この戦闘機に乗った。北条で下宿をしていた

 そして、最後は地域活性化拠点施設「soraかさい」へ。

戦争の歴史や貴重な品を紹介し、平和学習のために多くの人が訪れているそうです。喫茶スペースがあるのも嬉しいです。

 展示のゾーンに入るとまず目を奪われるのが、2機の戦闘機模型。ものすごい迫力です。

 上が「九七式艦上攻撃機」、下が当時最新鋭だった局地戦闘機「紫電改(しでんかい)」。
 「九七式艦上攻撃機」は3人乗りで翼の幅約15メートル、一人乗りの「紫電改」より少し大きい。ちなみに、「紫電」とは刃などを振る際に出る鋭い稲妻のような光を意味し、「紫電改」という名前は、従来機の「紫電」を改良したことからついたとのこと。

 「ここで寝泊まりしていた練習生は、週末になると近くの北条というまちに下宿をして、本を読んだりして過ごされていたそうなんです」とガイドの岡田さん。そんなお話を聞くと、「もしかすると下宿を受け入れていたのは、自分の知り合いの知り合いの先祖や家族かもしれないな」とか「逆にこの時何かがちがえば自分は生まれてなかったのかもしれない」とふと思います。

 この日訪れた遺構は3~4箇所ほどでしたが、一帯に残る遺構の数が本当に多い!シンプルに、こんな数、残っているのはすごいです。当時の人も歩いたであろう道を歩き、当時の人も眺めただろう池を見て移動していると、ここでの生活の声が聞こえてきそうな…。一種の遺跡を訪れているかのような感覚になりました。

 戦争というものが遠い歴史の一点ではなく、当時の人の出会いと別れ、時代の動きがめぐりめぐって今の私の日常に続いているのだろう。ここはそんなことを考えるフィールドです。

 

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戦争遺産を巡り、平和を学ぶ 鶉野フィールドミュージアムガイドツアー

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お土産に「うずらのドロップス」を買いました

清水奈緒美(兵庫県広報専門員)

好きな旅のスタイルは「自転車旅」。気になる路地、気になる店でいつでも立ち止まれ、道に迷えば地元の人に聞ける、そんな自転車旅が好きです。兵庫県香美町出身。その街の時間の流れが伝わるような記事を書いていきたいです。

取材者:清水奈緒美(兵庫県広報専門員)