体験してみた!「揖保乃糸」にはアレがない!?のび~るそうめん小分け体験
手延そうめん揖保乃糸の歴史、文化、製法、おいしさを学び、体験し、味わう
手延そうめん揖保乃糸の歴史、文化、製法、おいしさを学び、体験し、味わう
テレビCM「♪~そうめん、やっぱり、揖保乃糸~♪」のフレーズは、聞き慣れている人も多いと思いますが、「お中元でいただくそうめんブランド」と言えばほとんどの人が「三輪そうめん」か「揖保乃糸」をあげるでしょう。今回、「揖保乃糸資料館そうめんの里」があるたつの市で、産地ならではの「そうめん小分け体験」をしてきました。
え。…ちょっと待って。機械化の時代に、麺を棒で分けていくこの作業を「手作業で」しているってこと!?それとも手作業でするのは体験時だけ!?なんと、そうめんは、機械化された工程はあるものの、手作業だった時代と変わらず職人の「手間」と「時間」をかけて1本の麺になるのでした。
米農家にとって収穫祭といえば「秋」ですが、そうめんの産地の祭りは、冬期から行うそうめん製造が落ち着く「初夏」。たつの市の大神(おおみわ)神社で明治に開催されていた例祭では、そうめん箱作りや把(結束)競技などのユニークな競技が行われていたことも。そうめん作りが産業として、また、地域の年間行事として根付いていたことが分かります。
神戸から車で1時間と少し。兵庫県の南西部に位置するたつの市の「揖保乃糸資料館そうめんの里」へ到着しました。
近くには揖保川が流れています。建物内に入って、まず見所の多さにびっくり!展示室に加工場、試食コーナー、お食事処、売店、屋外には夏季限定のそうめん流しの会場まであります
訪れたのが夏だということもあってか、正午になっていないというのにお食事処には行列ができていました。
フィールドパビリオンのプログラムとして、「ガイドによる歴史と製造のお話」→「小分け体験」→「そうめんの食べ比べ」という内容が予定されているということで、まずは歴史と製造のお話を聞きに、展示室のゾーンへ。
(※小分け体験は時期によって開催)
展示室には、そうめんのルーツの解説や昔の製造方法などが展示されていて、「そうめんだけで、こんなにいろいろ展示するものがあるんだ」と驚きます。この日、ガイドをしてくだった藤木さんによると、そうめんの原型は中国・唐の菓子「索餅(さくべえ)」だとする説があり、日本へ渡った索餅は鎌倉時代に索麺(さくめん)へと形を変え、位の高い僧侶が食事と食事の間に「点心」として食べていたそうです。
江戸時代には、そうめんは一般家庭にも普及し、「七夕にそうめんを食べると病気にならない」「そうめんを糸に見立てて、七夕にそうめんを供えると縫い物が上達する」といった言い伝えが広まったり、龍野では結婚式の最後に茹でたそうめんに鯛の煮付けをのせた「鯛麺」を食べる風習があったりするそうです。ちなみに、館内のお食事処では鯛のかぶと煮とそうめんをいただけるメニューもありましたよ。
そうめんの名産地は全国にあれども、なぜ播磨でそうめんの製造が盛んになったのか。播州平野では小麦が作られ、揖保川水系の豊かな水量で水車による製粉を行い、雪国から冬場の出稼ぎで労働力が集まり、播磨の温暖な気候はそうめんの乾燥に適していたのだとか。
藤木さんによると、全国的に広まったのには「物流」によるところもあったのではないかといいます。川舟が運航していた時代には、そうめんを高瀬舟で飾磨港(姫路港)へ運び全国の港へ届けることができ、また鉄道輸送が主流になってからは、JR「東觜崎駅」(たつの市)に隣接する形でそうめんの倉庫が作られたほど。
さらに、販促や宣伝活動の開始も早く、大正時代にはキャラバン隊を結成し西日本を中心にPR。今では考えられませんが、飛行機から数万枚のビラをまいたこともあったそうです!
「揖保乃糸」のそうめんは「兵庫県手延素麵協同組合」が小麦などの原料や資材を一括で仕入れ、約400軒ある組合員のもとへ原料などが分配され製造されています。つまり、各組合員がそれぞれの製造場所で作るので、揖保乃糸には「単一の工場」というものがないのです!江戸時代、播磨でそうめんを作る農家が増えるにつれ、価格も品質もまちまちなものを作り、産地の信用を落としかねない人が出てきたことがあったそうな。そこで、当時のいくつかのそうめん屋が品質に関する取り決めなどを交わしたそうです。産地のブランドを守るための組織づくりが、ほんの発端とはいえ江戸時代にすでに存在したとは驚きです。
現在、姫路市、たつの市、宍粟市、揖保郡、佐用郡で製造されている「揖保乃糸」。組合員が製造し、検査に合格したそうめんは専用倉庫で数ヶ月間熟成させていきます。
ちなみに、製造された年に出荷されるそうめんを「新(しん)」、専用倉庫で1年間以上熟成させたものを「ひね」と呼ぶそうです。熟成によりコシが強く、舌ざわりもさらに良くなると言われています。
揖保乃糸の材料は小麦粉(中力粉)、塩、水、綿実油。まず小麦粉と塩水をこねた後、太い生地を縄状のように何本も合わせていきます。乾燥防止のための綿実油を塗りながらさらに縒(よ)りをかけ直径20mmの細さに。寝かして12mmの細さにしたものを熟成させ6mmに。3回目の熟成を終えたものを、2本の管に八の字を描くようにかけて4回目の熟成へ。
生地を50cmほどまで伸ばし翌朝まで寝かします。翌日、それを1.3mほどまで伸ばし、時間を空けながら1.6m、2mの長さへ。
この間、実に36時間。ようやくそうめんの細さになったものを乾燥させ切断、麺を束にする作業へと進みます。しかし、これほど多くの工程が必要だったとは・・・。「今日の昼もそうめんか~」と不満を言っていた小学生の頃の自分に「喝っ」!
ところで、そうめんの生地は寝かしたりせず、いきなりびよ~んと伸ばすことはできないのでしょうか。聞けば、何本も麺生地を合わせ幾度も熟成させ、縒りをかけながら伸ばしていくことで小麦粉のグルテンが一定の方向に形成され、引っ張っても切れない麺になっていくのだそうです。機械化されている部分はあっても、工程は手作業の時代とほぼ変わらず。熟成の進み具合は常に人の目で確認する…そうめん作りは今も、長年そうめん作りに携わってきた職人の経験がモノをいうプロの技なのです。
まず、2本の管に巻かれた状態の生地を決められた長さまで伸ばします。小麦の生地の特有の香り。まるで輪ゴムを引っ張っているかのような弾力です。「ぐい~~~ん」とけっこうな力で引っ張り切ります。
そして、「ハシ」と呼ばれる長い菜箸のような棒で「小分け」作業を行います。なぜこの作業が必要なのかというと、生地が八の字に巻かれているため、麺同士は1箇所で交差した状態。つまり、「小分け」によりくっついた麺をはがしていくのだそうです。
分けても分けても切れない麺。こんなに細いのに、なんで切れないんでしょう。
そして、ここからが分かれ道。小分けの終わったそうめんをさらに伸ばしていきます。実演時は、職人さんはやすやすと伸ばしておられましたが、私がやると・・・
ぷつん、ぷつん。引っ張っるのは同じ長さなのに、なんで切れちゃうのー!?!?グルテンの声が聞こえるには、やはり時間と経験が必要なのでしょう。
「清水さん、束を掴むと、真ん中部分がまだ若干太いのが分かるでしょ?」
「なんとなくそうかもしれません」
管に近い部分から麺は伸びていくため、中央はわずかに太いそうで、少し時間をおきさらに伸ばすと、太いため乾燥しきっていない部分だけが伸びるのだとか。
最後はそうめんの食べ比べです。この日は、黒帯の「特級品」と赤帯の「上級品」とをいただきます。
どれくらいちがうかというと、上級品が太さ0.7~0.9mm、400本/50gに対して、特級品は太さ0.65~0.7mm、480本/50g。特級品は厳選された小麦粉が使用されており、さらに作ることのできる職人も限られているのだとか。このちがいが、どう出るか。いただきます。
あ。ちがう。噛んだ時の歯触りが、特級は心地いいです。つゆにはあまりつけたくない小麦の美味しさが、特級にはよりありました。が、結局のところはどちらも美味しかったです(笑)。
これまで、そうめん「揖保乃糸」には「その地域ならではの地場産品」というイメージはあまりなかったのですが、播州のそうめん作りに適した環境と職人技があってこそのものだったと思うと、これは見事な“地場”産品だと感じます。いつも食べているそうめんがいつも以上に美味しく感じたのは、ここがそうめん文化と播州の風を感じられる場所だからだったのかもしれません。
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取材者:清水奈緒美(兵庫県広報専門員)
好きな旅のスタイルは「自転車旅」。気になる路地、気になる店でいつでも立ち止まれ、道に迷えば地元の人に聞ける、そんな自転車旅が好きです。兵庫県香美町出身。その街の時間の流れが伝わるような記事を書いていきたいです。