世界文化遺産・国宝「姫路城」
国宝姫路城は、奈良の法隆寺とともに日本で初めての世界文化遺産となりました。その優美な姿から「白鷺城」の愛称で親しまれています。旅行関係サイト等での城郭のランキング企画では、必ずトップクラスに挙げられます。姫路城の大天守は、国内に現存する12の天守の一つで、約400年前の建造時と変わらぬ姿を今日に伝えています。
不戦・不焼の城はまちのシンボル
姫路城はその400年の歴史の中で、戦にまみえることのなかった、たぐいまれな城です。また、美しく荘厳な姫路城は、地域の人にとって常に誇りであり心の拠り所でした。明治時代初期から、後世に受け継ぐべき文化財との認識が確立していました。太平洋戦争初期には、「その白い美しい姿が爆撃の標的になってはいけない」との思いから、黒いネットを張って城を守ろうとする活動も行われたと言われています。市街の8割近くが消滅する大規模空襲のなか、奇跡的に残った姫路城は、地域の方の戦災復興の心のシンボルとしての役割を果たしました。
城郭が果たす役割の変遷
戦乱が常態化していた中世末期には、お城は防御力の高い山の上に築くのが定石でしたが、世の中が安定してくると、市井の統治にも相応に注力することが必要となってきました。西日本の陸・海の交通の要所であり、江戸幕府にとって西日本への最前線であった姫路城は、軍事と統治とのバランスがとれる小高い丘の上に築城されました。その上で、当時の最先端の築城技術によって、堀や迷路状の通路を整備して、山城にも引けを取らない高い防御力を兼ね備えたのです。