日本の黒毛和種のルーツ「但馬牛」
但馬(たじま)牛(うし)は兵庫県生まれの黒毛和種で、先祖代々但馬牛のみと交配してきた純血の牛です。県内で育てられ、お肉になったものを「但馬(たじま)牛(ぎゅう)」といいます。そのうち、厳しい基準をクリアしたものだけが「神戸ビーフ」として認定されます。約700年前、鎌倉時代に書かれた「国(こく)牛(ぎゅう)十図(じゅうず)」に但馬牛は逸物が多いと高く評価され、但馬は古くから良い牛を生産する地域として知られていました。肉専用種としての和牛の改良が盛んになると、但馬牛はその肉質が良かったことから、全国の和牛改良に利用されてきました。その結果、現在では全国の黒毛和種の99.9%の牛が美方地域で生まれた但馬牛の種雄牛「田尻(たじり)」号の遺伝子を持っていることが確認されています。
世界農業遺産に認定された美方地域の伝統的な飼育システム
美方地域において、かつて但馬牛は田畑を耕す労働力であり、生産された子牛は農家の重要な収入源となることから、家族同様に大切にされてきました。棚田の畔草や稲わらは牛の餌とし、春から秋にかけて山に放牧することで棚田や草原が適切に管理され、地域の景観や多様な生物資源が守られてきました。地域の農業では、牛ふん堆肥が棚田に還元され、地域資源を循環利用する持続可能なシステムが継承されています。牛を中心としたこれらの取組みは高く評価され、2019年に日本農業遺産、2023年に世界農業遺産に認定されました。
但馬牛の血統を守る
険しい山々が連なる兵庫北部の但馬では、昔、峠を超えて牛を交配させることが難しかったため、谷筋内での交配が続けられ、谷筋毎に優れた牛の血統が誕生しました。それらの血統を管理するため、明治31年頃から牛の戸籍の元となる「牛(ぎゅう)籍簿(せきぼ)」が整備されました。明治36年より、国策により外国種との雑種生産での改良が行われましたが、使役能力の低下などのため、間もなく雑種生産は中止されました。性質温順で働き者の但馬牛の良さが見直され、牛籍簿を活用することで外国種との雑種を特定し、純粋な但馬牛の血統を守ることができたのです。
和牛のふるさと「小代」
日本で最も美しい村の一つに挙げられる兵庫北部の小代地区は、「小さい田んぼ(代)」という意味の地名のとおり、険しい山々に囲まれた小さな棚田が連なる静かな田園地帯です。かつて小代には美方地域の中でも特に地区内の血統にこだわり、地域外から牛を入れることを嫌う風習がありました。明治時代に、雑種生産が流行した時でも、小代の牛は体格が小さすぎて雑種生産には適さないとされ、交配が避けられていました。しかし、その後の純粋な但馬牛の改良には、小代地区で飼われていた牛たちが主役となっていったのです。そんな小代だからこそ、全国の黒毛和牛の99.9%の遺伝的祖先であるといわれる「田尻」号が誕生したのです。