江戸時代から続く酒米栽培
兵庫県南東部の丘陵地を中心に広がる山田錦生産地域は、伊丹や灘といった銘醸地に隣接しており、江戸時代から酒造に適した米の産地でした。文久2年(1862年)に灘の酒蔵が「鳥居米」など名声を博していた米を仕入れた史料が残っています。明治に入り、品質の向上を願った農業者と酒蔵は、「村米」と呼ばれる高品質な酒米の供給制度を結び、現在まで親戚のような付き合いが続いています。
酒米の王者
「山田錦」は、80年以上前に兵庫県により開発され、「酒米の王者」と称されています。兵庫県産の山田錦は、品質面では特等以上であるものが7割(全国平均は4割)、全国新酒鑑評会の出品酒の原料に占める割合も6割に達し、供給量の面でも全国のシェアが6割と日本一です。大きな粒、適度な心白の大きさ、そして少ないタンパク質と脂質という、良質な酒米に求められる条件を備えているため、高級酒の製造に適しており、全国の約550の酒蔵にトップブランドとして出荷されています。
窒素分の少ない山田錦栽培
米粒を大きくするには窒素分が不可欠ですが、多すぎると稲が倒れたり、日本酒の雑味の元になるタンパク質が増えたりします。また、水に溶け出したり、温室効果ガスとして大気中に放出されるなどで環境に悪影響を起こします。山田錦生産地域の約300年前の記録では、窒素分の少ない施肥の記録があり、現在も「倒して倒さず」という格言のように、大粒で高品質な山田錦のため、窒素分を絶妙に調整した難しい栽培が行われています。
酒米栽培に適した大地
「酒米買うなら土地見て買え」との格言が酒蔵に残るように、粘土質の土壌、地形、気候などが栽培に適した場所での生産が江戸時代から継続しています。栽培適地は三木市、加東市付近を中心に広がっており、地域の水田土壌は粘土質、地形は山間又は盆地で緩傾斜の棚田となっています。なかでも東西に開けた中山間の谷あいや盆地では、夏季の気温の日較差が10℃以上に達し、山田錦の登熟や心白の発現に非常に条件が揃った地域です。
山田錦生産を支える「東条川疏水」
東条川疏水は、100年前の大干ばつを契機に築造された大きなため池や、戦後初のコンクリートダムを水源に、山田錦の主要産地でもある3000haを超す広大な農地に農業用水を供給しています。水路は山沿いを開水路とトンネルで走り、谷部はサイフォンの原理で動力を使わず対岸の台地へと駆け上がります。支線へは、用水の公平配分に工夫を凝らした円筒分水を経由して分流していきます。豊かな農地のなかにある、こうした特徴的な用水施設群が、素晴らしい農村景観を演出しています。